2018年4月13日

非常に優れたノンフィクション・エッセイ! ただし、章によるクオリティ差が大きい…… 『れるられる』


これは、境目についての本です。生と死、正気と狂気、強者と弱者など、私たちが相反するものと認識している言葉と言葉の境目について考えました。
「はじめに」の冒頭で、著者はこう語り始める。

全6章から成り、それぞれに考えさせられるテーマを適度に掘り下げ投げかける。

第1章「生む・生まれる」は、知力体力に優れ、美形でもあった小学校の同級生・堂元くんの思い出から始まる。著者はある日、帰宅した母から「堂元くん、えらいね」と言われる。母によると、実は彼の兄はダウン症で、その兄の手を堂元くんが引いて歩いているのを目撃したらしい。そのことを知って、著者は「人生の辻褄が合ったような気がして、そんな感情を抱いた自分にぞっと」する。そして、この章では出生前診断、体外受精や遺伝カウンセリングといった問題と、そこにある「境目」に目を向けていく。

第2章は「支える・支えられる」で、阪神淡路大震災や東日本大震災での自衛隊や消防隊、医療チームといった被災者支援をする側、される側の「境目」をたどっていく。そして、PTSDを発症して辞めていく隊員たちや、発症しているのに見逃されたまま思い悩んでいる隊員たちの存在を知り、「支援者」も「支援を必要としている」ことに気づく。彼らを支援するのは心理治療の専門家だけではない。被災者からの「ありがとう」の一言が、彼らを勇気づけ、支えるのだ。「支える」と「支えられる」の「境目」は、メビウスの輪のように循環していた。

第3章「狂う・狂わされる」。
これは精神科領域で、双極性障害の友人の思い出から、自らの双極性障害Ⅱ型に関する話が綴られた。

第4章「断つ・断たれる」は自殺したMくんの話から始まり、大学院を卒業し「ポスドク」と言われる立場にいる人たちの不遇さ等について。

第5章は「聞く・聞かれる」で、盲目の人を取材した経験や、自らの父が喉頭摘出する前後のエピソードなど。

第6章は「愛する・愛される」で、作家・田宮虎彦と妻・千代について。

と、このレビューを読んで分かるように、第1・2・3・5章については優れたノンフィクション、エッセイであったが、第4章と第6章は興味や関心をそそられるものではなかった。

文章量は多くなく、これで2000円はちょっと高い。

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