2017年11月28日

精神科ケースレポートのような淡々とした描写が心地良い短編集 『犯罪』


ドイツの小説家(弁護士でもある)による連作短編集。タイトル通り、すべて犯罪がらみのものばかりだ。

事実をもとにしているようで、劇的トリックや感動オチといったものはほとんどない(皆無ではない)。このあたり、同じく弁護士で、犯罪がらみの小説を書くアメリカのジェフリー・ディーバー(『リンカーン・ライム』シリーズ)とは趣が異なる。

感傷的な描写をせず、淡々と描かれていく人間模様、犯罪の裏側に、ぐいぐいと引き込まれてしまう。少し脚色された精神科ケースレポートを読むような感覚で、非常に面白かった。ただ、ハラハラドキドキするような小説が好みという人には向かないかもしれない。

2017年11月27日

池井戸潤を好きな人なら楽しめそうな小説 『トライアウト』


主人公の可南子は38歳のシングルマザーで新聞記者。8歳の息子「孝太」とは遠距離親子である。タイトルからはプロ野球メインの話かと思ったが、実際にはあまり野球は出てこない。トライアウトの場面もあるにはあるが、それもあまり本題ではなかった。

ではなぜタイトルに「トライアウト」を用いたのかと少し疑問だったが、可南子という女性の人生における再起、復活をかけた「トライアウト」と考えれば、なるほど納得がいく。

面白くて一日で読んでしまったが、一日で読める分量ということでもある。したがってストーリーは面白いが、表面をさらっと撫で上げたような中身でもある。池井戸潤が好きな人、特に『ルーズヴェルト・ゲーム』が面白かったという人なら楽しめるのではなかろうか。

ちなみに、著者はなんと看護師だったらしい。

2017年11月24日

なぜ患者を身体拘束するのか

「なぜ患者を拘束・抑制するのか」

計見一雄先生の答えがシンプルで、自分の中での非公式な指針にしている。

「患者に近づくため、触れるためだ」

さらに、身体拘束を外すときの、計見先生の声かけも好き。

「外すから、殴るなよ」

精神科の診療や看護に集中するには、殴られるかもしれないという「雑念」が邪魔になる。もちろん、精神科に従事する人はみな、殴られる可能性があることを「覚悟」はしている。しかし、その「覚悟」と「殴られるかもしれないという雑念」は似て非なるものである。

「覚悟」と「雑念」。

この違いを感覚的に分からない医師が主治医になると、スタッフは苦労し、時に泣かされる。

「覚悟はある、しかし雑念が邪魔」

この感覚を分かるかどうかは、医師としての臨床経験ではなく、人としての感性にかかっているのかもしれない。


計見先生の言葉がどの本に書いてあったかは失念したが、臨床系の本はそう多くないのですぐ見つかるだろう。たぶん、この本だったとは思う。

2017年11月22日

診察室での「きく」について

診察室での「きく」は主に3つ。

1.診断や経過確認のため、症状や家族歴などを尋ねるときの「きく」。
2.真摯な姿勢としての「きく」。
3.「どうしてそう思ったんでしょうね?」など質問を投げかけることで、患者のこころに「種をまく」ような、治療のための「きく」。

1には知識が、2には人間性が、3には経験が、主に求められる。

知識がなくても2はできるし、知識があっても2ができるとは限らない。

2017年11月21日

世界に民主制が誕生する前後をエンタテイメントにした小説 『パルテノン』


映画化された小説『ジョーカーゲーム』の柳広司による短編二つと中編一つが収められた作品。

3編とも、舞台は紀元前5世紀のアテナイ。特に民主制の始まりとパルテノン神殿の建造をテーマにした中編の表題作「パルテノン」が読み応えがあり面白かった。

これまでに読んだ柳広司の「実在人物が主人公」という小説は、ただのエンタテイメントではなく、なにかしらテーマを持たせてある。そして、それが重すぎないのが読みやすくて良い。

2017年11月20日

皮膚科医なんて簡単さ!?

同期の皮膚科医と会った際、この機会に皮膚科について教わろうといろいろ聞いてみたが、結局のところ、「(患者の皮膚を)実際にみないと分からない」という結論に落ち着いてしまった。このあたり、精神科と似ている。

そんな流れの中で、同期は、
「皮膚科は、抗真菌薬(水虫の薬)塗るか、ステロイド使うかのどっちかだから」
と笑っていた。これは同期に限らず、多くの皮膚科医がときどきやる自虐ネタで、研修医に対しても入局の勧誘で使われることがある。

しかし、この言葉にだまされてはいけない。それを言うなら、ボクサーだって「右手か左手を使えば良いだけ」なのだ。でも実際には、どちらの腕をどのタイミングで、どれくらいの強さで出すか、あるいは守りとしての引き際の見極めなどが勝敗を左右する。

皮膚科医が自らの仕事を自嘲的に語ったとしても、それはやはりプロの領域の話である。

2017年11月17日

精神科診療における日記の効用

あるコーチングの本によると、思考は話し言葉より40倍から80倍の速さで流れるらしい。だから、言語化しない思考は高速で過ぎ去ってしまい、頭には残らない。

診察室で「ゴチャゴチャ考えすぎてしまう」と訴える人は多いが、その「ゴチャゴチャ」に具体性のあることは少ない。言語化していないので、悩みの中身はただただ流れ去り、「いっぱい悩んだ」という形跡だけが残っているのだ。

精神療法やカウンセリングの効用の一つは、この「ゴチャゴチャ」を言語化することだ。というより、言語化できた時点で問題の大半が解決するようなケースさえ珍しくないのではなかろうか。

さて、精神科やカウンセリングで「日記を書く」ことを勧められた人がいるかもしれない。この日記は、主治医が読んで分析するためというより、頭の中の「ゴチャゴチャ」を言語化するトレーニングという意味が大きいだろう。

「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」

これらは患者が「いっぱい悩んでいる」ことを伝えるために用いることの多い表現だが、診察室ではそれらを具体的な言葉にしてもらうよう促す。また、日記などを通じて日常でもそういう訓練をしてもらう。(※)

このように、精神科診療やカウンセリングにおける日記は「自分の思考を言葉にするため」である。決して、主治医やカウンセラーを喜ばせるためではない。だから「一生懸命書いたのにサラッとしか読まれなかった」という愚痴がこぼれるうちは、日記の役割が正しく認識されていない。

ただし、そうやって「愚痴を言語化できた」ことはすごく良いことである。日記に目を通す主治医やカウンセラーの様子を見て「イヤーな気持ち」になるだけでなく、「何がイヤー」だったのかを言葉にしてみる。「なんとなくイヤー」で済ませない。

そうこうするうちに、「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」と、大雑把で適当で安易に表現してきた「頭の中の悩みごと」を、もう少し具体的な言葉にできるようになるかもしれない。そうして、
「自分はこれで悩んでいたのか」
という気づきにつながれば良い。

例えるなら、「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」という「頭の中の悩みごと」は、夜道を独りで歩いているときの暗がりや正体不明の音みたいなものである。ライトを当てたり音の正体を確かめたりするだけで、「なぁんだ」と楽になることも多い。

自分の診療で患者に日記を勧めたことは数回しかない。そして、実際に書いてきた人は一人もいない。精神科やカウンセリングに対して、ファストフード的でお手軽な癒しを求めている人には不向きな方法ではあるだろう。精神科やカウンセリングでは、敢えて今風に言えば、「鉄腕ダッシュのTOKIOみたいに基礎からコツコツやる」と思ってもらうほうが良い。

ここまで、頭の中の「ゴチャゴチャ」を言葉にすることの効用を書いてきた。診療における日記については、俺自身が効用をきちんと伝え切れていなかったことも大いに反省すべきところである。こうやって書いている自分自身が、このように文章にしたことで、日記の効用をもう少しうまく患者に伝えられるようになったのではないか、という気になっている。


※この点においては、ツイッターやブログでわりと具体的なグチを書いている人は、悩みかたとしてかなり洗練されていると思う。みなさん、文章化しましょう。

2017年11月16日

バランスのとれたSFを書く小川一水による短編集 『妙なる技の乙女たち』

学生時代、ケーブルテレビで放送されていた『スタートレック』を欠かさず観ていた。ある日、友人に勧めたところ、「子どもだましのSFはちょっと……」という反応だったので、その魅力を伝えるために熱弁をふるった。ところが実は、俺自身も初めてスタートレックを観るまでは、この友人と同じように考えていて、まったく興味を持っていなかったのだ。ある日たまたま観てみると、登場人物が魅力的で、毎回のテーマもしっかりしており、単なる宇宙冒険ドラマではないことに気づいてしまった。

SF小説も同じで、単なる空想科学小説を面白いとは思えない。あくまでも空想科学を舞台にして、人間を描きながらテーマを提示するようなものであって欲しいし、もちろん読みやすさも大切だ。

そして、舞台設定の上手さ、人物描写の巧みさ、読みやすさが三拍子そろっているのが小川一水。俺と同じ1975年生まれということもあって、密かに応援している作家でもある。

小川一水を初めて読んだのは『老ヴォールの惑星』という短編集だったが、その中の一つ『漂った男』には鳥肌がたった。SF食わず嫌いの人には、何はともあれこの短編だけでも良いから読んでみて欲しい。こんなんアリかよ、という面白さである。


さて本書であるが、全8話が収められている。舞台は今より少し未来で、宇宙エレベーターが完成した時代。それぞれタイトル通り若い女性が主人公だ。第一話『天上のデザイナー』がやや軽いタッチの話だったので、読み終えるかどうか悩んだ。というのも、俺のイチオシSF作家ではあるが、すべてを手放し大絶賛というわけではなく、過去に読んだラノベで途中リタイアしたこともあるからだ。

幸いにも第2話からは雰囲気が少し変わって、結果としては全部読んで「面白かった!」と言えるものであった。

2017年11月15日

初診時に労う

うつ病でも、統合失調症でも、その他の病気でも、初診時に本人や家族を労う。

「ここまでよく独りで耐えましたね」
「皆さんの支えがなかったら、きっと今より大変だったでしょう」

数秒で済む簡単な一言が、数十年に渡る治療を決定づけることもある。

その逆に……。

「なんでこんなになるまで放っといたの!?」
なんて無神経な言葉を投げつける医師も、残念ながらいる。

言われた家族はショックだし、「こんな」と言われてしまった患者は辛い。

こういうトラブルメーカーが、フリー医師として全国の病院を巡っている。当院にも過去にいて、それ以来、フリーの精神科医を非常に警戒している。

2017年11月14日

『リスカ』『OD』という言葉

診察室に来た女子中学生から、「リスカ」「OD」という言葉を聞いた時にはビックリした。その時に、こういう、ともすれば手軽でファッショナブルな響きさえある言葉が広まるのは危険だなと感じた。彼女にどこでそういう言葉を知ったのかと尋ねたら、「ネットで」ということだった。

こうした中高生にとってのネットは、パソコンではなくスマホである。夜遅くまでベッドの中でスマホをいじっているのだ。当然、不眠につながるし、朝どうしても起きられない。これが不登校のキッカケにもなる。

これらはネットの功罪のうち、罪にあたるだろう。

2017年11月13日

それでも飲むなら飲めば良い! 『酔うと化け物になる父がつらい』


本当に良い本だった。

この本に出てくる「父」は、いわゆる「酒乱」ではない。いつも飲み仲間と楽しく飲んでいる。だから酒席に誘われることも多い。家族への暴言や暴力もない。中小企業の社長として、それなりにきちんと仕事もしている。外から見れば、「酒飲みの良いオヤジ」である。

しかし、それでも。

酒が、家族を苦しめている。

「自分は楽しく飲んでいるから大丈夫」
「たまに二日酔いになるけど、仕事に支障はないからOK」
「酔っても家族に暴言暴力を向けることはない」
「つまり自分は愉快な酒飲みなのだ」
と思っている人でも、一度はこの本を読んでみて欲しい。きっと少しだけ酒に対する見方が変わるはず。

そのうえで、好きで飲む人は飲み続けたら良い。

俺はこの酒飲み世界から「イチ抜けたー!」である。

2017年11月10日

病院の待ち時間を改善、あるいはクレームを減らす方法

ホリエモンこと堀江貴文氏が病院の予約と待ち時間について文句を言っていた。


ごもっともな意見ではあるのだが、医師の立場から現状を説明しておきたい。

まず、この問題の根本的な解決策はずっと以前から存在している。
「予約枠を少なくし、どんな状況にも融通をきかさない」
これ一発で即解決だ。ただし、そうすると患者が予約をとる段階で「予約が一杯」と断られることが激増するだろう。また、午前中しか病院に来れない人にも、「午前はどこも空いていません。16時半なら大丈夫です」という対応をせざるを得なくなる。そのかわり、皆さんが大嫌いな「待ち時間」はほとんどなくなる。

例えばうちの外来は、当初30分で5人枠だった。しかし、それでは入りきらないので30分8人枠になってしまった。朝一からギュウギュウ詰めである。30分で8人みるのは不可能なので、少しずつ時間がおしていく。後の患者の待ち時間は延びていく。そして次回の予約をとる時に、
「(朝一の)9時半はもう一杯だから、10時で良いですか?」
と頼んでみるが、
「いや、9時半で」
そうピシャリと言われてしまうことが多い。押し問答している時間が勿体ないので、8人枠に9人目を入れることになる。

医療側としては、「融通をきかせて、そのかわり待ち時間が長くなる」か、「待ち時間を減らすために、徹底的に融通をきかさない」か、正直どちらでも良いのである。なぜなら、どちらにしても、「待ち時間が長い!」と怒られるか、「少しくらい融通をきかせても良いじゃないか!」とキレられるか、そういうクレームの来るのが目に見えているからだ。

少し考えを発展させてみる。制度上の問題はさておいて、長い待ち時間の解決策として、「順番を一人ぶん繰り上げるのに1000円負担する」というのを考えた。その1000円は、繰り下げられた人の診療費から差し引くのだ。30分早くみてほしければ、5~10人くらいを飛ばすだろうから5000円から1万円が必要だ。

こうすれば、医療者はクレームが減り、長く待つのが嫌な金持ちはいくらか払って時間を買えるし、待てる人は自分の時間を1000円に換金できる。皆が少しずつハッピーになれる。これには、「朝一で並んで次々と後ろの人を抜かせて稼ぐ人が出るのでは?」という反論もあるだろうが、よく考えてみて欲しい。朝一に並んだら、ほとんど待たずに診察に入るので稼ぎようがない。お金を出して追い抜くほうも、3人待ちくらいなら我慢するだろう。逆に30人待ちを3万円払ってすっ飛ばすような人も稀だろう。そしてこの1000円は払い戻し制ではなく、あくまでも「診療代から引く」だけなので、早く並んだからといって、その人が儲けるわけではない。もちろん、病院の利益も変わらない。

こんなシステムを作ったところで、利用する人はほとんどいないかもしれない。しかし、それでも良い。要は、待たされる人に「状況を自分で選択させる」ことが重要なのだ。「金を払って早くみてもらう」という選択肢があるにも関わらず、「金を払わずに待つ」ことを選んだ。この感覚があるだけで、待ち時間に対するクレームは大幅に減るだろう。病院側としても、もしクレームがあっても「こういう選択肢がありますよ」と提示すれば済むので助かる。

このあたりの考えは、渋滞を研究した下記の本に大きく影響を受けている。

この本で述べられていたことで参考にしたのは、「都市部の渋滞をどう解消するか」について。都市部で渋滞している車の多くは駐車場を探してグルグル回っているらしい。駐車場は安値合戦となっているが、渋滞緩和のためには駐車場代を大幅に上げるよう提案している。そうすると車が減って渋滞は解消され、バスなどの公共交通機関の利用者が増え、利用者が増えると運賃やルートなどの利便性が改善されるのだ。

なんにしろ、堀江さん、良い思考ネタをありがとう。

<関連>
あなたの集中力と注意力が試される! 白いチームのパスをカウントせよ!! 『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?』

<参考>
なんかいい具合に病院の待ち時間ネタが炎上しておるな。

2017年11月9日

あなたの集中力と注意力が試される! 白いチームのパスをカウントせよ!! 『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?』

まずはこの動画を見て、30秒足らずの間に白いチームが何回パスをするか正確に数をカウントしてみて欲しい。さて、一回目で正解に辿りつけるかどうか、あなたの集中力と注意力が試される。




これはバスケットボールとゴリラを使った面白い実験だ。被検者に、白いユニフォームと黒いユニフォームを着たチームのバスケットの試合を見せ、パスの回数を数えてもらう。そして試合後、こう質問される。
「何か変なものを見なかったかい?」
ほとんどの被検者は気づかないが、実はコートの中でゴリラの着ぐるみが動き回っていたのだ。

この実験からも分かるように、人間の認知力には、集中すればするほどこういう落とし穴があるのだ。(似たようなことを、明るすぎる懐中電灯は周囲を暗く見せるでも書いているので参照)

ちなみに、この動画の実験で、
「黒いチームのパスを数えてください」
と指示すると、ゴリラの発見率が上がるということも分かっている。なんとも興味深いと感じるのは俺だけじゃなかろう。

そして、種明かしをされた後に動画を見直すと、いくらパスに集中しようとしてもゴリラが目に入ってしまう。つくづく人間の認知力の奇妙さには驚かされる。


時々、高速道路で事故車から降りて歩いていた人が車にはねられるというニュースを見聞きする。上記ゴリラの実験のように、道路と標識と他の車に集中しすぎると、通常はいるはずのない「歩行者」を認知できなくなる。だから、こういう事故が跡を絶たないのだろう。

本書はユーモラスで「あるある」的なタイトルとは裏腹に、内容は交通に関していろいろな面から考察してある。『影響力の武器』などの本で、経済学と心理学をミックスして『行動経済学』としたように、本書は『行動交通学』といった趣きがある。

それぞれの章ごとのタイトルが秀逸なので掲載しておく。

・私はなぜ高速上の工事区間でぎりぎりまで車線合流しなくなったのか
・どうしてとなりの車線の方がいつも速そうに見えるのか?
・あなたが自分で思っているほど良いドライバーではない理由
・どうしてアリの群れは渋滞しないのか(そして人間はするのか)?
・どうして女性は男性より渋滞を引き起こしやすいのか?
・どうして道路を作れば作るほど交通量が増えるのか?
・危険な道のほうがかえって安全?

翻訳がちょっとぎこちないところがあるし、時どき退屈になってしまう部分もあったが、それなりには楽しめた。そして運転することがちょっとだけ怖くなる、そんな本。

ただ、再読することはないだろうし、家族に勧めるわけでもないので図書館寄贈。

2017年11月8日

統合失調症の患者は何を言っているか分からないから難しい?

先日、内科医である院長が酒席で、
「統合失調症の患者さんは何を言っているか分からないことがあるから、精神科ってのは難しいなと思うよ」
と言っていた。これは院長なりの精神科医に対する労いの言葉であり、精神科患者に対する他意はないはずだ。ただ聞いていて、「うーん、そうじゃないよなぁ」と思った。

幻聴や妄想について語り続ける患者は、恐らく世間で思われているほどには多くない。医学生や研修医を外来に同席させて診察を済ませ、さっきの人は統合失調症だよと教えると、
「え!? あの人も!? すごく普通だと思いました……。教科書でつかんだイメージと全然違いますね……」
という反応が多い。自分が医学生・研修医だったときも同様の感想を抱いたものだ。

連合弛緩や支離滅裂といったところまで状態が進むと、言っている意味はほとんど分からなくなる。だが、彼らがなんだか困っているということは伝わってくる。考えてみたら内科でも、口に出して「頭が痛い」と言う人から、脳卒中で意識消失している人まで幅がある。それでも内科医にとっては「今やるべきこと」「今やってはいけないこと」というのが見えている。精神科も同じだ。幻聴や妄想が激しかろうが、連合弛緩や支離滅裂に陥っていようが、やるべきこと、やるべきでないことは、おおよそ分かるものである。

2017年11月7日

沖縄の小島を舞台に、のんびり楽しく生きる19歳と86歳の女性二人を描くファンタジー 『バガージマヌパヌス わが島のはなし』


主人公は19歳の綾乃、そして彼女の親友であるオージャーガンマー。オージャーガンマーとは、大謝(おおじゃ)家の次女、という意味らしい。

生まれつき霊能力があり、神さまにユタとして見込まれてしまう綾乃。若いころにユタになるようお告げを受けたのに、それを断ったオージャーガンマー。そんな二人の、のんびりした怠け者生活が読んでいて心地良い。

文章は神視点。俺は神視点が苦手だが、本書には神視点が似合っているし、また、この世界観を描写するには神視点がどうしても必要だったのかもしれない。第6回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しており、Amazonレビューも非常に高いのだが、正直「うーん、そこまでかなぁ……?」という感じ。

2017年11月6日

浅田次郎が1970年代の若手自衛隊員を描く短編集 『歩兵の本領』


1970年代の自衛隊に「入ってしまった」若者たちを主人公にした短編集。それぞれの物語は独立したものだが、登場人物たちはゆるやかにつながっている。

本書の中では、新米隊員は先輩から当たり前のように殴られ、蹴られる。現在の自衛隊で同じような体罰をやっているとはとうてい思えず、想像もできない話だが、きっとそういう時代もあったのだろう。

浅田次郎は文章やストーリー運びが非常に巧みなので、時に読者を感動させようとする「あざとさ」すら感じてしまうことがある。本書では、そういうあざとさがあまりなく、わりとスッキリしていて良かった。

2017年11月3日

努力の結果は「成功」だけか?

精神科医として考える「うまく生きるコツ」というか秘訣というか、そういうものがいくつかある。その中の一つが、
「自分にできないことは、素直にできないと認めてしまう」
精神科の診察室にやってくる人の中には、これがなかなかできない人が多い。

能力は、残念ながら万人に公平に割り当てられてはいない。得意不得意は誰にでもあるし、自分の中で一番得意なものが、全体から見れば平均以下ということだってある。残酷ではあるが、どんなに努力しても実らない、それも運不運の問題ではなく、もともとの器が足りないということが確かにある。

しかし、努力は決して無駄にはならない。「努力した」ということ自体が、何らかの形でその人のその後の人生を支えるからだ。

努力の結果を「成功」だけに限るなら、努力した人のうち一握りの人しか報われないことになる。いっぽう、「成長」にも価値を感じられる人にとっては、報われない努力なんてほとんどない。

そしてまた、時には「努力」を放棄する生き方も、アリだと思う。

2017年11月2日

入院親和性、外来親和性

精神科の患者には、入院親和性、外来親和性というものがあるような気がする。これらは片方が高ければ、もう片方が低いというような関係ではなく、両方とも高い人もいれば、逆にどちらも低いという人もいる。

ある患者は、入院している間は文句一つなく淡々と生活するのだが、退院するとプッツリと消息が途絶えてしまう。そして病院外でトラブルを起こしては保護され入院、ということを繰り返していた。こういう人は、入院親和性が高く、外来親和性が低い。

別の患者は、入院すると他患者に因縁を吹っかけたり、医師や看護師に脅しをかけたり手に負えず、結局、本人の執拗な退院希望に家族が折れて退院。これでもう病院に来なくなったかというとそうでもなく、外来を欠かすことがない。こういう人は、入院親和性が著しく低くて、逆に外来親和性が異常に高い。

これが実際の治療に役立つ考えかたかというと特にそういうわけでもなく、ただそういう親和性というものがありそうだなと思った話である。

2017年11月1日

あのダーウィンが主人公のミステリ! 『はじまりの島』


映画化もされた小説『ジョーカー・ゲーム』の著者・柳広司によるミステリ。主人公は『種の起源』で有名なダーウィン、舞台はガラパゴス。

柳広司は他にも歴史上の人物を主人公にしたミステリを書いている。前回読んだのはロスアラモスでの原子爆弾開発をテーマにした『新世界』で、これは原爆を落とされた街の描写が生々しく、反戦小説として後世に伝えていきたい名著だった。

さて本書であるが、ダーウィンが主人公なだけあって(?)、テーマは「人間とはなにか」といったところ。とはいえ、あくまでもエンタテイメント小説であり、決して哲学書ではないので、そこまで深刻なものではない。重いテーマをうまく盛り込んだミステリ、という感じだ。

完全にエンタテイメントに徹している『ジョーカー・ゲーム』シリーズに比べて、この邸プのミステリには、どうやら柱となるテーマがあるようだ。他の本も読んでみようと思う。