2017年5月31日

アスリートたちの「一瞬」に胸熱くなる一冊 『あの一瞬 アスリートはなぜ「奇跡」を起こすのか』


10人のアスリートを中心とした短いノンフィクション10編からなり、タイトルから想像するような内容ではない。

登場するのは以下のとおり。

マラソン(瀬古利彦)、女子ソフト(上野由岐子)、体操(加藤沢男)、柔道(遠藤純男と山下泰裕)、サッカー(釜本邦茂など)、ボクシング(ファイティング原田)、プロ野球(ヴィクトル・スタルヒン)、ラグビー(松尾雄治)、相撲(横綱・柏戸と大鵬)、高校野球(松井秀喜に5連続敬遠した明徳義塾)

どのスポーツも俺は大して詳しくないが、それでも心打たれる内容であった。特に柔道では鳥肌がたち、ラグビーでは胸が熱くなり、相撲では思わず涙ぐんだ。

同著者の他のノンフィクションに比べると、それぞれの分量が短いこともあって、いまひとつ踏み込みが足りないのが残念。読後に食べ足りなさを感じてしまうので、星4つといったところ。

2017年5月30日

エボラウイルスによる災厄を彷彿とさせる医学系パニック小説 『キャリアーズ』


わりと分厚い二冊組だったが、途中で飽きることもなく読み終えた。エボラウイルスによる災厄を思い出すような内容で、作者の想像力と現実とがうまい具合にミックスされていた。

この作者パトリック・リンチ、実は一人ではなく、イギリス人の二人組らしい。ともに医学ジャーナリストで、イギリスやアメリカの製薬会社でウイルス研究にも従事したことがある、ということが分かっているが、それ以上のことは不明のような。謎の作家、というところか。

海外のこのての小説にありがちな「文章での視点移動」が多いため、その点についてはちょっと面倒くさいのだが、なかなかにスリリングで面白い小説だった。

2017年5月29日

時代に左右されない素晴らしい内容 『コード・ブルー 外科研修医救急コール』


非常に質の高い内容でありながら、とても分かりやすい平易な表現で、しかもまったく飽きさせない構成。著者ガワンデ先生の外科医としての腕は知らないが、ライターとしては超一流である。

ガワンデ先生の他にも、オリヴァー・サックス先生、ハロルド・クローアンズ先生、ジェローム・グループマン先生らによる医学ノンフィクションの名著がある。医学生のモチベーションが高まること間違いなしだが、いずれも学生にとってはけっこう高価(あるいは絶版)。だから、こういう素晴らしい本は医学部の図書館に置くべきだ。きっと大学全体の士気が高まるだろう。

どんな感じか、まえがきの1ページだけ紹介。
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2017年5月25日

残酷な描写が苦手な人は読むべからず 『殺しすぎた人々 性的サディズムからカルトまで』


本書では、連続殺人と大量殺人を分けてあり、前半が連続殺人鬼、後半が大量殺人を扱っている。この二つはどう違うかというと、連続殺人が年月をかけて殺していくのに対して、大量殺人は一日、時には数十分で何十人という殺人を犯す。ちなみに、「多重殺人」はこの両方をさす。一瞬のインパクトは大量殺人のほうが大きいが、連続殺人では犯人が逮捕されるまでの社会不安が大きい。また、大量殺人に対しては怒りがこみ上げるのに対して、連続殺人鬼では逮捕された後に明かされる不気味で異常な行動に気分が悪くなる。

本書を読んで、アメリカは多重殺人がこんなにも多いのかと驚く。個々のケースはある程度要点が絞られており、殺害の様子が細部まで緻密に描かれるわけではないのだが、それでも思わず顔をしかめたり、小休止して脳と心を冷却させたりしなければいけないところが多々あった。

アメリカ版「新潮45犯罪シリーズ」といったところだが、新潮45に比べると、特に後半の大量殺人に関して、いくぶん社会分析くさくなるのが目障りだった。

「多重殺人は、通常は精神の病気のせいではない。精神病による幻覚妄想で殺人を犯そうとする者もいることは確かだが、遂行能力が低下していて多重殺人には到りにくい」という著者の意見には賛成だ。また、社会や境遇が原因で多重殺人を犯すなんてのは論外だ。

そして、著者はこう語る。
生物学的、心理学的、社会学的、経済学的困難を負っているにしても、多重殺人者はふつう、どう行動するか、どう行動しないかを自分で決定する能力がある。
読んで気持ちの良いものではないので、万人にお勧めできる本ではない。

2017年5月24日

優しいだけでは精神科医は務まらない。しかし、優しさがなければ精神科医として良い仕事はできない。精神科医・中沢正夫のこころあたたまる臨床エッセイ集 祝・復刊!! 『こころの医者のフィールド・ノート』

優しいだけでは精神科医は務まらない。しかし、優しさがなければ精神科医として良い仕事はできない。


著者である精神科医・中沢正夫の眼差しはあたたかく、とても優しい。内容は最初から最後まで、専門家でなくても充分に理解可能なものである。印象深いエピソードもたくさんあった。絶版であるため、愛蔵書として大切に保管しておく。

ところで、わりと古い本なので、精神病患者をさして「キチガイ」という言葉が何度も出てくる。文章全体からあたたかくて優しい人柄がにじみ出てくる中沢医師にあってさえ、病者を「キチガイ」と表現するような時代があったのだと、妙なところで唸ってしまった。

なお、精神病者をさして「キチガイ」という言葉を用いるのには大反対だが、この「キチガイ」という言葉そのものをタブー視するのもイヤで、俺はむしろ好きな言葉でさえある。「キチガイ」としか表現しようのない非精神病者(特に殺人犯)を呼ぶのに、これ以上にしっくりくる言葉もないからだ。

本書にあった特に印象深いエピソードについてのツイッター反応は、@CookDrakeさんがまとめてくださっており、大反響を呼んでいる。ぜひ参考にどうぞ。
お忍びで精神病棟に入院した医学生が見たものは…そして彼の選んだ道は?「怖い」「身につまされる」絶版本のツイートに反応多数

ところで、バッハは半ば忘れられた存在になっていたところ、メンデルスゾーンによって「再発見」されて今くらい知られるようになった、という話がある。同じように、中沢先生の本の多くが絶版になっているが、これを機に再発見・再評価され再版なんてことになれば、俺がこうして紹介した意義は大きいだろう。

なんてことを書いたのが5月のことだが、なんとその後、ちくま書店の編集部のかたから連絡をいただき、本書が大反響だったことを受けて復刊再版が決定したとのこと。

読書界のメンデルスゾーン、きたかもしれないYo!\(^o^)/

古本は破格の高値になっているけれど、近日中に正当な値段で新品が買えるはずなので、慌てて古本に手を出すことがないように!!

【追記】
平成29年6月末、復刊!
しかも本の帯は、なんと上記の「togetterまとめ」がそのまま用いられている!!
@CookDrakeさん、おめでとうございます!!

2017年5月23日

名人・升田幸三の破天荒な将棋人生 『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』


精神科医としての第一歩を踏み出した病院には、将棋好きの先生が二人いた。二人は同期で、毎日の昼休みや仕事終わりに将棋を指して、勝った負けたと互いに一喜一憂していた。また、研修医時代に師事した精神科の先生もこの二人と同期で、この先生はなんとプロ棋士と対戦して勝ったことがあるという素人猛者であった。

そういう将棋環境(?)だったので、小学校時代にハマった将棋への興味が少しだけよみがえった。ただ、定石を覚えたり、詰め将棋をやったり、棋譜を研究したりするのがまったく性に合っていない。

ところが、数年前にたまたま読んだ『将棋の子』が面白く、続けて読んだ同著者の『聖の青春』がまた輪をかけて面白かったので、「将棋を読む」ことは好きになった。そこから将棋マニアでもあった団鬼六のエッセイを読みあさり、今回は名人・升田幸三の自伝である。

前評判は高かったが、一抹の不安はあった。上記のように、将棋そのものには興味がないので、棋譜がたくさん出てきたり、定石とか戦法とかの説明に多くを割かれたりすると嫌気がさすと思ったのだ。しかしそれは杞憂であった。升田幸三の大風呂敷な語りが妙に心地よく、少しも退屈することなく最後まで読んでしまった。いくらか棋譜は出てくるが、それは完全にスルーした。それでも楽しめるくらい面白い自伝である。

2017年5月22日

Amazonアカウントの乗っ取り被害に遭う……

どうやったのか分からないが、Amazonのアカウントを乗っ取られてしまった……。

気づいたのが朝の5時半、乗っ取りは4時間前の1時半。

メールに「アカウントの修正」というタイトルで、登録アドレス変更の連絡があっていた。その時点でAmazonにはログインできず……。

すぐにAmazonおよびカード会社に連絡した(どちらも24時間の電話対応。職員の皆さま、お疲れさまです)。

Amazonのほうは変更された形跡の確認がとれて、これから調査に入るとのこと。分かり次第、また連絡をくれるそうだ。カード会社のほうは、ひとまず2社とも停止・再発行。不正利用が発覚した場合、連絡すれば請求はされないとのこと。

朝っぱらから冷や汗ものだった。パソコンやスマホ上の他のサイトで登録情報等がハッキングされた形跡はないので、アドレスやパスワードをランダムで入力するのに当たってしまったのかな……?

いずれにしろ、ハッキリするまでソワソワ落ち着かない。

【平成29年5月23日 追記】
5月22日12時半頃にAmazonからメールがあり、上記の件は解決した。メールには「ご利用者様保護の一環の定常的なモニタリング活動を通じて」不正が分かったということが書いてあった。

そこでふと思い出したのだが、AIが「普段の消費動向と違う」と判断したらストップがかかるんだったかな?

たとえばAmazonギフト券なんて買ったことがない人が、ある日、メールアドレスの変更と同時にギフト券を大量発注したら、AIがおかしいと判断する。あるいは普段は日用品しか買わない人が、高額家電をいくつも注文したら、やはり変だと判断する。

そういうことができる時代みたい。

2017年5月19日

治療ハウツー本ではない 『統合失調症治療の再検討』


決して治療のハウツー本ではない。

統合失調症にまつわる歴史的な考察から始まり、精神科治療(薬物、ECTだけでなく、OT、絵画療法、音楽療法、カウンセリング等々)の批判的吟味、精神科病院についての著者の考え、デイケアについて、最後に統合失調症をとりまく諸問題を語る。

「精神科に興味がある」くらいの人が読んでも面白味はないかもしれない。仕事として精神科に関わっている人がこういう本を読んで、著者の考えに賛成したり反対したりしながら、自らの相対的な立ち位置を確認する、そのための本と言える。

本文ではないが、あとがきには中井久夫先生についての逸話がいくつか書かれており、やはり凄い先生なのだなぁと感じた。

どんな感じか参考になるよう、「カウンセリング」についてのページの写真を載せておく。

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2017年5月18日

日航機墜落事故で亡くなった同世代、健くんに想いをはせながら読む 『悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年』


健くん、やっと会えたね。

1985年8月12日、俺は生まれて初めての一人旅で、初めて飛行機に乗った。俺が羽田空港に着いたのと入れ替わるようにして、一機の飛行機が伊丹空港にむけて飛び立った。御巣鷹山に墜落した日本航空123便である。

この事故で亡くなった人の中に、俺と同級生の少年がいたということを、10年ほど前の新聞で読んだ。彼も俺と同じく初めての飛行機、初めての一人旅で、甲子園での高校野球観戦が目的だったらしい。その記事を読んで以来、ずっと彼のことが気にかかっていた。日航機墜落事故の本を何冊も読み、ところどころに出てくる彼の話を目にするたびに、当時の自分が母に見送られて飛行機に乗る場面を思い出した。同じ日に、同じように初めての一人旅で、しかも一人で飛行機に乗るという共通点に、言い知れない因縁めいたものを感じていた。

今回、本書で初めて彼の写真を見ることができた。彼の顔をまじまじと眺め、こころの中で呟いた。

健くん、やっと会えたね。

同級生というのは勘違いで、彼のほうが一学年下のようだ。飛行機がトラブルにみまわれてからの30分近く、彼はどんな気持ちでいたのだろう。小学4年生だった俺の記憶をたぐっても、飛行機の中でどんなことを考えていたのか思い出せないが、かなりの恐怖だったのではなかろうか。そんな健くんのとなりには、22歳の女性が座っていたそうだ。そして、その女性の母によると、

「うちの娘は優しい子で、子どもが大好きだったんです。絶対に健ちゃんの手を、しっかりと握っていたと思いますよ」

健くんの母は、この言葉が立ち直るきっかけになったようだ。そして、なぜだろうか、俺もホッとした。

この事故に関する本は、これからも時々読むはずだ。そのたびに健くんのことを思い出すだろう。そして、君のことに想いをはせて、君が生きられなかった時間の大切さを噛みしめるよ。あの日、君と同じく初めての一人旅、初めての飛行機にトライした同世代として、そうせずにはいられないんだ。

2017年5月17日

喧嘩上手、生き下手、土方歳三が疾走散華する! 『燃えよ剣』


新選組というと人斬り集団というイメージがあって、ただそれだけの理由で10代から30代までは新選組関連の小説を忌避していた。その食わず嫌いを治してくれたのが浅田次郎の『壬生義士伝』で、それから新選組の本を何冊か立て続けに読んだ。いずれも面白かった。

そして今回、大御所・司馬遼太郎による定番の本作に手を出した。

中学・高校と歴史に興味が持てず、成績も下の下だった。挙げ句は高校の社会科教師から親が呼び出され、「数学や英語はこれだけの成績なのに、日本史がここまで悪いというのはナメているとしか思えない」とまで言われた。そんなつもりは毛頭なく、いくら覚えようとしても頭に残らなかったのだ。

興味がなかったから、とも言いきれない。英語も数学も興味なんてなかったのだから。きっと相性の問題なのだろう。だから、新選組関連に限らず歴史小説はわりと好きで読むが、歴史的なことや人名、地名、寺社名などはなかなか頭に残らない。脳の中の、そういうことを司る部分が弱いんだろう。

そんな俺でも胸熱くなりながら読めた。やはり、新選組の話は面白い。

2017年5月16日

東大の胸部外科教授だった先生の赤裸々な意見 『患者さんに伝えたい医師の本心』


内容はバランス良く中庸が保たれており、おそらく医療者が読んでも一般の人が読んでも、強い反感を抱かれることはないのではなかろうか。そのぶん、「趣味の読書」という点では、ちょっと刺激が少ないとも感じた。

目次を記しておくので、少し参考になるだろう。

第1章     医師が「患者の家族」になったとき
第2章     手術を拒否するおばあちゃんはなぜ翻意したのか
第3章     「患者にやさしい治療」の落とし穴
第4章     左遷時代に学んだこと
第5章     「患者様」を廃止した理由
第6章     迷惑がられても当直します!
第7章     ヨン様とモーツァルト
第8章     周辺開業医への「お中元大作戦」
第9章     組織の「ミッション」を明確にすべし
第10章    警察は医療事故を裁けるか
第11章    東大医学部の傲慢と時代錯誤
第12章    悪意あるテレビ報道に医師はどう対処すべきか
第13章    病院ランキングを信じてはいけない
第14章    東大医学部教授はこうして選ばれる
第15章    医学部の宿痾「講座の縄張り争い」
第16章    医療政策を担える人材を育てる
第17章    医療事故を起こした医師は現場に戻せるか
第18章    輸血拒否の「エホバの証人」に向かい合う

本書は書き下ろしではなく、新潮社の会員制サイト「フォーサイト」での連載に加筆・修正したものらしい。さらに言えば、聞き書きでもある。連載エッセイをまとめたものなので、本全体として一つにまとまっているわけではない。こういう本は、空き時間にチョコチョコ読むくらいが疲れなくて良いと思う。

2017年5月15日

障害者がプロレスラーに!? 軽いノリなのに深く考えさせられる名著 『無敵のハンディキャップ 障害者が「プロレスラー」になった日』


障害者プロレス発足の経緯から始まり、世間で一定の認知を得るまでの紆余曲折を描いたノンフィクション。著者は障害者プロレスの発起人である北島行徳

このプロレスの興行名がなかなか刺激的だ。「超障害者宣言」は可愛いもので、「ボランティア敗戦記念日」とか「弱者の祭典」とか、「素敵なハンディキャップ」なんてのもある。

障害者プロレスとはいうものの、障害者だけが戦うわけではない。なんと(本書の中心テーマからすれば「なんと」という表現は使うべきではないのかもしれないが)障害者が健常者とも戦うのである。それも本気で。興行を重ねるうちに、「試合前、障害者レスラーが健常者レスラーの技を3つ禁じることができる」というルールができはしたものの、それ以外は真剣なぶつかり合いだ。そんな障害者プロレスの試合描写は、エキサイティングかつユーモラスである。

プロレスの実況はボランティアメンバーがやる。たとえば、寝返りすら介助が必要な重度障害のある女性同士が戦うとき、まず入場時のレスラー紹介はこうだ。
「私、脱いでも凄いんです。新橋三枝子!」
「私、今日、動きます。千野恵子!」
試合が始まると、二人ともゴロリとマットに横たわる。介助者がいないと座ることさえできないのだ。
「この試合は寝技のみになるので、お客さんには少し見にくいかもしれませんね」
「寝技と言っても、ただ寝転がっているだけに見えるかもしれませんが」
「二人とも日常生活では、寝返りをうつのにも苦労していますからね」
「そんな体の状態でプロレスをするわけですから、お客さんも見るポイントをしっかり押さえて欲しいです」
「そうですね。私はズバリ、千野選手の水着がポイントとみました。何か、おニューみたいですからね」
こうした実況に、観客は笑っていいものか戸惑うことになる。それが彼らの狙いでもある。また、孤児で、知能指数が81の男性、リングネーム「菓子パンマン」の紹介もキレている。
「さぁ、出てきました話題の新人、菓子パンマン! IQが81で愛の手帳がもらえずに、障害者になれなかった健常者です! もう一つ付け加えるなら、親のいない孤児でもあります!」
実況者も、こういうキツい表現をすることに抵抗がないわけではなかったという。しかしそれでも、「観客を相手に言葉のプロレスをする」というところに胸を打たれる。

当然予想されることではあるが、こういう活動に眉をひそめる人も多く、レスラーの親族も決して賛成する人ばかりではない。時には面と向かって批判する人たちもいる。それでも彼らは活動を続けているし、本書を読めば、思わず応援したくなること請け合いである。

余談ではあるが、同著者の映画化される(平成29年秋公開)小説『バケツ』では、知的障害者とボランティアの二人が主人公だった。この『無敵のハンディキャップ』を読むと、『バケツ』に出てくる人物やエピソードが決して空想の産物ではなく、実在する人たちをモデルにして、出来事もかなり忠実に再現したものだということが分かる。

もの凄く良い本なので、手放さずに蔵書する。

2017年5月12日

アルコール依存症の若者にとっての「精神科病棟の居心地良さ」について

アルコール依存症の人を断酒目的で入院させても、どうもうまくいかない。

アルコール依存症の人にとって、長期入院患者の多い病棟は居心地が良いのだろう。見るからに表情は明るく、活き活きとしてくる。それもそのはず、病棟の外、現実社会では仕事もあまりうまくできず、家族から非難の目を浴び続けてきたのに対して、病棟では「自分より生活能力の劣る人」に囲まれているのだから。この状況だと、特に何か努力をしたわけでもないのに、あたかも自分の能力が向上したかのような錯覚に陥る。言うなれば、「見せかけのレベルアップ」だ。

アルコール依存症患者の入院治療について、中井久夫は『看護のための精神医学』の中でこう述べている。
(3)回復期の入院治療
まっすぐに社会復帰の準備をするのがよい。病院の催し物の役員につけたり、劇のシナリオを依頼したりはしないことである。便利だからつい頼むし、患者は買ってでるので注意。理由は、「病院のスターになること」はアルコールが患者にもたらしていたとほぼ同じ「代償性満足」と「はかない自己顕示という一時の酔い」をもたらすからである。
抱えこんだ劣等感を処理できずに発展途上国での放浪を目指す人(20歳のころの俺がまさにそうだ)にも、同じような心理があるのかもしれない。発展途上国に行く人の場合、そこで何かを得られるのなら、劣等感はキッカケとして悪くないのかもしれない。だが、断酒目的で入院した病棟で、見せかけの能力向上に嬉々活々としていては危うい。

こういう患者を依存症の専門病院に転院させると、途端にショボくれてしまい、「離院」(いわゆる脱走)の報告が届く。そういう病院には自分と同じような人が多いので、「見せかけのレベルアップ」はない。「能力向上という幻想」から「現実直視による失望」という落差が、患者の離院に一役買っているように思える。そう考えると、依存症専門病院に入院する前に、ひとまず断酒目的ということで当院のような慢性期病棟でワンクッション入れるのは、患者によけいな幻想を抱かせてしまって治療的でないかもしれない。

以上、専門施設への転院を視野に入れるなら、よほどの緊急事態でない限り、その場しのぎの断酒目的入院は受けるべきでないと考える理由である。

2017年5月11日

医療における取り違えについて

注射部位を指示するときに、「右肩」「左肩」ではなく「みぎ肩」「ひだり肩」と書くようにしただけで、取り違え報告はほぼゼロになった。

外科での左右取り違えの結果は深刻だ。かつては左右を取り違えて健康な側を手術することが稀ではなかった。これを解決したのは、今ではどこでも常識的にやっている「術前に患者の手術する側の手足に油性ペンで印を書く」ことだ。

産科での赤ちゃん取り違えも、生まれた直後に油性ペンで赤ちゃんの足に「志村ベビー」のように名前を書くことで激減した。これも今ではほとんどの病院で当たり前のように行われているが、かつては当たり前ではなかった。

ほんの小さな工夫で、お金もかけずミスを減らせる方法が、他にももっとたくさんあるはずだ。

2017年5月9日

森達也のウジウジが、ハマるか、受けつけないか、あなたはどっちだ!? 『オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ』


ドキュメンタリー作家の森達也が、超能力やUFO、幽霊といったオカルトについて「ああでもない、こうでもない」と自問し、自答し、行ったり来たりしながら、ひたすら煩悶し続ける本である。最後まで何の結論も出ないのだが、そもそもオカルトについて「結論」なんてものはないのだから、仕方がない。

森はこれまでの作品でも、こういう「仕方なさ」に真摯に真正面から向き合ってきた。つまり、ほとんどの作品が「行ったり来たりのウジウジ調」ということである。この煮えきらなさをまったく受けつけられない人はたくさんいるだろうし、そういう人は途中で読むのを投げだしたくなるかもしれない。ところが逆に、このウジウジした感じが少しでもハマるとクセになる。読みながら、自分も一緒になってウジウジしてきて、それが妙な具合に心地良いのだから不思議だ。

森がオウム真理教について書いた本『A3』は、このウジウジ節が見事に炸裂した名著だし、『放送禁止歌』『職業欄はエスパー』『死刑』もウジウジとして読み応えのある良い本だった。社会生活の日陰な部分に目を向けて、ウジウジしながらしつこくほじくり返す姿勢を崩さない森達也は、今の日本メディアに不可欠な人材ではなかろうか。

褒めているのか貶しているのか分からないが、こういう煮え切らないウジウジしたレビューこそ、森達也の本にはふさわしい。

<関連>
いま、読め。 『A3』
放送禁止歌
To believe, or not to believe: that is the question. 『職業欄はエスパー』
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

2017年5月8日

キャッチャー6人を追ったノンフィクション 『キャッチャーという人生』


達川光男、山中潔、村田真一、大久保博元、谷繁元信、里崎智也という6人のキャッチャーに取材してあるノンフィクション。この中で俺が名前を知っているのは達川、村田、大久保の三人。顔が分かるのは大久保だけだが、達川はなぜか声が思い浮かぶ(笑)

序盤は達川と村田を軸に話が進む。最終的には村田に戻るので、本書の主軸は村田真一だろう。村田は4歳の娘さんを交通事故で亡くしているそうだ。ちょうど長女が4歳から5歳になったばかりというのもあって、村田の辛さが我がことのように沁みた。

野球の本は何冊も読んだし、読み終えるたびに次の一冊を探している。こうやって多くの野球関連ノンフィクションを読めば読むほど、もっと読みたくなる。それなのに、一向にプロ野球や甲子園の観戦をしようと思えない俺は、野球好きなのかなんなのか……。

2017年5月4日

躁うつ病の治療薬リチウムによる中毒、糖尿病治療薬フォシーガによる脱水

これまで定期的にリチウムの血中濃度は測定していて、特に問題はなかったのに、ある日リチウム中毒で運ばれてきた人がいた。過量服薬したわけでもない。予想される経過はおよそ以下のとおり。

数日前、おそらく何らかの軽微な感染症にかかって食事と飲水が不足した。その後、

脱水 → 軽度の腎不全 → 血中のリチウム濃度上昇 → リチウムの副作用で食思不振が悪化 → 脱水悪化 → 以下、負の連鎖

さらに、糖尿病治療薬であるフォシーガも内服していたので、脱水に拍車がかかったと予想される。シックデイ(体調不良で食事がとれない日)でも、糖尿病治療薬を含めたすべての薬を律儀に内服していたのだ。

このフォシーガという薬は、内服すると尿中に糖がどんどん排出される。どれくらいかというと、1日で約200kcalぶん。このおかげで少しずつだが体重が減る。糖尿病治療とダイエットの一石二鳥で、夢のような薬に聞こえるが、リスクもある。

まず、尿中の糖が増えるので、糖を好む微生物による尿路感染症をきたしやすくなる。それから、利尿作用もあるので、まめに水分補給しないと脱水になる(Aさんのように)。脱水から、脳梗塞や心筋梗塞を起こす恐れもある。

そういうわけで、転勤していった敬愛する内科医K先生いわく、
「こうしたリスク説明や飲水指導を重々にしたうえで、理解力と実行力のある人にしか勧められない」
とのこと。

この人もこうした説明は受けているはずだが、診察室での生活指導は、重々にやったつもりでもこういう結果になることがままある。

さて、リチウム中毒に話を戻そう。

リチウムには解毒剤がない。重症の場合には透析が必要になるが、そこまででもない時には、ひたすら輸液してリチウムを尿中に排出させるしかない。この時、利尿薬としてラシックスを用いるとリチウムの再吸収を促すので禁忌である。大事なことなので、もう一回。

リチウム中毒に対して、ラシックスは禁忌。

これは今回いい勉強になった。


※以上、医療従事者でない人にも、なるべく分かるように書いたつもり。


「リチウム中毒にラシックスは禁忌」は、これを読んで知りました。

2017年5月2日

不眠に関する誤解や迷信を捨て、快適な睡眠を取り戻そう! 『8時間睡眠のウソ。』

精神科診療では「不眠」の訴えがとても多く、詳しく問診すると、いろいろなパターンの人がいる。

ある高齢男性は、内科で睡眠薬をもらっているのに不眠が続くという。
「何時に寝つくんです?」
「5時です」
「そりゃキツいですね。そんなに寝つけないんですか?」
「いや、寝つきは良いんです。ただ12時前に目が覚めて、それからが眠れないんです。7時くらいまで寝ていたいのに」
「え? 5時って、夕方の5時!?」
「はい」

驚くことに、この男性の場合、17時から翌日の7時まで14時間も眠りたいという希望があり、それが叶えられず「眠れない」という訴えになり、「不眠」を改善すべく内科で睡眠薬を処方されていたのだ! せめて21時に寝るよう説得したが、「漁師だったんで、(夕方)5時に寝て、(夜中)12時に起きて仕事するのが習慣だったから」と受け容れてくれなかった。薬を欲しがる男性に、薬ではどうしようもないことを説明して処方はしなかった。そんな診察を何回か重ねるうち、かろうじて21時ころの就寝にまでこぎつけ、それで「不眠」は大幅に減った。

ある中年男性は、一日にコーヒーを10杯以上も飲み、寝つけないからビールを数本飲むという。仕事はしていないので起床は遅い。この人には、コーヒーの量と時間に制限をかけ、禁酒を指示した。これで「不眠」はかなり改善した。ただし、こちらには薬物療法も要したが。

他にも挙げればキリがないくらい、「不眠」の背景にある「睡眠習慣のバリエーション」は豊富だ。


本書の著者は三島和夫先生。国立精神・神経医療研究センター部長である(平成26年時点)。睡眠に関する疫学、科学的な研究に基づいた正確な基礎知識が、読みやすく分かりやすく書かれている。思わず「そうなんだぁ」と人に話したくなるようなものもある。たとえば、「22時から2時の睡眠が美容に良い、というのはデタラメ」「人の体内時計が25時間というのは間違いで、日本人は平均で24時間10分(アメリカ人は24時間11分)」「寝つきやすい時間帯は個人差があり、50人で調べると最大で7時間も違う」などなど。

また、「不眠」と「不眠感、熟眠感」は一致しない、ということにも触れてある。家族の誰が見ても「メチャクチャよく寝ている」のに、本人だけが「寝た気がしない」というのは、診察室での日常茶飯事である。

「不眠」への耐性は人それぞれで、多少の不眠があってもパフォーマンスが落ちない人から、劇的に能率が下がる人までいるらしい。また睡眠には遺伝も関係しているそうで、本書でも遺伝子については紹介されていた。

統計的には、平均睡眠時間は30代で7時間をきる。45歳だと6時間半になる。これに対し、病院の消灯時間は21時である。スタッフの勤務時間や人員配置の問題で仕方ないのだが、入院患者が21時に寝て3時過ぎに起きてしまうのは当然で、これを「早朝覚醒」「不眠」と評価するのは気がひける。まして、睡眠薬をつかって起床時間を遅らせるというのは、果たして治療的と言えるのかどうか……、悩ましいところである。

<関連>
医療従事者のかたは、こちらを強く推奨。
人生の3分の1は寝ているんだぞ!! 『極論で語る睡眠医学』

2017年5月1日

企業戦士向けの自己啓発本 『自衛隊式 最強のリーダーシップ』


企業戦士を対象としているようで、具体例では“取引先”や“競合他社”とのやり取りが想定されている。医師のリーダーシップにまるっと応用できるわけではないが、チームを率いるという点で参考になる部分も多々あった。いくつか記憶に残るものがあったので抜粋しておく。
戦術の失敗は戦略で補うことができるが、戦略の失敗は戦術的勝利だけでは補えない。
隊員を掌握せよ。そのためには、顔と名前を覚えろ。
一人の愚将は、二人の名将に勝る。
まず拙速で合格点を目指し、その後に完全性を目指す。
自分としては、ものすごく参考になったというわけでもないので、強くお勧めはしない。興味のある人で、時間があればどうぞ、という感じ。