2018年4月19日

腫瘍内科医の友人も勧めている名著 『医者は現場でどう考えるか』


腫瘍内科医の友人も勧めている名著。

著者のグループマンはハーバード大学医学部の教授。一般人向けと書かれてはいるものの、医師が読んでもすごくためになる本だ。

また、「この本を書くにあたって、精神科医については奥が深すぎるので除外する」と精神科を持ち上げるようなことが書いてあるが、実際には精神科医が読んでも参考になることが多く、また刺激的だった。

本書は翻訳者・美沢惠子の力量も素晴らしい。医師でこそないものの、国際化学療法学会、国際移植学会、アレルギー・免疫学会、小児科学会、救急医療学会、看護学会などに所属し、医学論文の翻訳に従事しているようで、さすがと頷くレベルの訳に仕上がっている。

医療者・非医療者にかかわらず、多くの人に勧めたい本。

ただし、値段が高い。現時点では中古でも1000円超える。これは購入者泣かせ。これくらいの値段にしないと執筆者・訳者・出版社の利益が出ないのも分かるのだが……。図書館にあれば理想か……。

2018年4月18日

長女の涙目、家族のスタイル

今朝の登校。長女サクラはずっと手をつないでいた。校門前で、
「パパ……」
と涙目。周りに他の子もいたが、抱っこしてグルグル回したら笑顔になった。

学校がイヤとか不安とかではなさそう。涙の理由はたぶん、次女の入園式に行けないから。家族は自分以外みんな参加するから、それが寂しかったみたい。

これまで、俺が仕事を休んで参加してきた行事はすべて長女関係のものだった。長女にとって、俺が仕事を休むのは「家族の行事」だったのだろう。
それが今回は、俺が休むのに、長女は参加できない。のけ者にされた気がしても仕方がない。これからも同じようなことはあるはずで、慣れるしかない、か?

妻と話し合った結果、俺が仕事を休んで参加する行事は、子どもも学校や幼稚園をなるべく休ませて参加させよう、ということになった。

異論や反論はあるかもしれないが、家族一丸となって応援したり祝ったり、それが我が家スタイルということで良いじゃないか、と。

次のビッグイベントは2年後、三女の入園式。このとき3年生になっている長女に「学校休んで参加したいか」を尋ねてみようと思う。もちろん、本人が学校に行きたいと言うなら、それを尊重する。

いまのところ、こんなふうに考えている。

2018年4月16日

見ただけでなく、現地で働いた人にしか描けない世界 『藻屑蟹』


著者・赤松さんとは、僭越ながら個人的に少しだけやり取りをさせていただいている。年に数回、互いの近況をかいつまんで報告し合うような関係で、ときどき赤松さんの作品を添付していただくこともあった。

そんなある日、「まだ明らかにはできないが、ある賞をとれるかもしれない」というメールをいただいた。まだ確定ではないという話だったので、浮足立ちそうになるのを務めて抑え、しかし、こころは浮き立った。ついに赤松さんが世間から評価される日が来たか。

本作は作家「赤松利市」のデビュー作である。ただし、実のところ、赤松さんは以前に別のペンネームで本を出版されている。それを読んで書いたレビューが赤松さんの目にとまり、そこからのお付き合いになる。俺はその作品をとても面白いと思っているし、ここで大々的に宣伝もしたいのだが、「新人作家・赤松利市」の門出となる本書のレビューで紹介するには不向きと考え断念する。

さて、本作について。

出版されていないものも含めた作品を知っている身からすると、本作は赤松さんらしさが研ぎ澄まされ、ヒリヒリするような作品に仕上がっていると感じた。ただ、この研ぎ澄まされた「赤松さんらしさ」という評価が、ご本人にとって褒め言葉なのか、あるいは歯がみされるものなのか。赤松さんなら、賛辞を賛辞として受け止めつつ、歯がみもされそうな気がする。

他のレビューにも書いてあるので、本の内容を詳述するのは避けつつ感想を書く。

前半から中盤にかけては、グイグイ引っ張られた。誰が読んでもひきつけられるはずだ。人によっては眉をひそめながら、あるいは主人公にある種の密かな共感を抱きながら、これまで誰も明瞭には書いてこなかった原発事故後の町を読むことになる。

この段階で出てくる脇役である友人らを、ただ原稿を埋めるだけの登場人物にせず、各人の背景に触れていくことで人物に厚みを持たせている。そして、主人公と彼らとの友人関係を通じて、主人公の日常生活が想像される。これを短編でやってのけるあたりが、スゴい。

中盤からラスト。赤松さんらしさが研ぎ澄まされ、赤松さんにしか描けないと感じるのはここだ。前半から中盤の内容が多くの人をひきつけるのは確かだが、極端な話、現地を知っていて、なおかつ赤松さんレベルの描写力があれば書けるものでもある(ただし、実際にはそんな人は稀有なのだが)。

赤松さんにしか書けない、描けない。そんな中盤からラストにかけてを好むかどうかが、本作品の読者の分かれ目になるのではなかろうか。

面白くてエンタテインメントに特化した小説も創られる赤松さんの筆が、今回はかなり人間を掘り下げるほうに振られた。インタビューなどを読む限りでは、今後もこの方向性で小説を書かれるようで、これから「赤松刀」がどう研がれていくのか楽しみである。とはいえ、赤松応援団の団長を自認する俺は、基本的にエンタテインメント小説が好きだ。いつかまた、魅力的なキャラが活躍したり、ゾッとするようなラストが待っていたりするエンタテインメント小説も読ませてもらいたいと、団長なのにワガママなことを考えている。

今後の赤松さんのご活躍に期待して、敢えて星を一つ預からせてもらいます。

2018年4月13日

非常に優れたノンフィクション・エッセイ! ただし、章によるクオリティ差が大きい…… 『れるられる』


これは、境目についての本です。生と死、正気と狂気、強者と弱者など、私たちが相反するものと認識している言葉と言葉の境目について考えました。
「はじめに」の冒頭で、著者はこう語り始める。

全6章から成り、それぞれに考えさせられるテーマを適度に掘り下げ投げかける。

第1章「生む・生まれる」は、知力体力に優れ、美形でもあった小学校の同級生・堂元くんの思い出から始まる。著者はある日、帰宅した母から「堂元くん、えらいね」と言われる。母によると、実は彼の兄はダウン症で、その兄の手を堂元くんが引いて歩いているのを目撃したらしい。そのことを知って、著者は「人生の辻褄が合ったような気がして、そんな感情を抱いた自分にぞっと」する。そして、この章では出生前診断、体外受精や遺伝カウンセリングといった問題と、そこにある「境目」に目を向けていく。

第2章は「支える・支えられる」で、阪神淡路大震災や東日本大震災での自衛隊や消防隊、医療チームといった被災者支援をする側、される側の「境目」をたどっていく。そして、PTSDを発症して辞めていく隊員たちや、発症しているのに見逃されたまま思い悩んでいる隊員たちの存在を知り、「支援者」も「支援を必要としている」ことに気づく。彼らを支援するのは心理治療の専門家だけではない。被災者からの「ありがとう」の一言が、彼らを勇気づけ、支えるのだ。「支える」と「支えられる」の「境目」は、メビウスの輪のように循環していた。

第3章「狂う・狂わされる」。
これは精神科領域で、双極性障害の友人の思い出から、自らの双極性障害Ⅱ型に関する話が綴られた。

第4章「断つ・断たれる」は自殺したMくんの話から始まり、大学院を卒業し「ポスドク」と言われる立場にいる人たちの不遇さ等について。

第5章は「聞く・聞かれる」で、盲目の人を取材した経験や、自らの父が喉頭摘出する前後のエピソードなど。

第6章は「愛する・愛される」で、作家・田宮虎彦と妻・千代について。

と、このレビューを読んで分かるように、第1・2・3・5章については優れたノンフィクション、エッセイであったが、第4章と第6章は興味や関心をそそられるものではなかった。

文章量は多くなく、これで2000円はちょっと高い。

2018年4月11日

「終わり良ければすべて良し」が証明された心理実験 『ファスト&スロー』


面白い心理実験がある。

患者グループAとBに大腸内視鏡検査を受けてもらい、Aは10分、Bは20分をかけた。AとBに、1分ごとに感じる苦痛を0(平気)から10(耐えがたい)までの数値で表してもらったところ、双方ともピークは8。検査開始から8分前後が最も辛かった。Aはその後すぐに検査終了し、終了時の苦痛は7。Bはさらに10分近くかけて終了し、10分以降の苦痛のピークは5程度で、最後に感じた苦痛は1であった。

さて、この二つのグループの苦痛を折れ線グラフにすれば、グラフ下側の面積が、おおよその「苦痛の総量」と言える。当然、Bのほうが総量は多くなる。ところが、患者に「検査中に感じた苦痛の総量」を評価してもらったところ、AのほうがBよりはるかに検査に対して悪い印象を持っていた。これについて、ダニエル・カーネマンは次の二つが影響していると言う。

1.ピーク・エンドの法則
記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の苦痛の平均でほとんど決まる。

2.持続時間の無視
検査の持続時間は、苦痛の総量の評価にはほとんど影響を及ぼさない。


もう一つ、別の実験を紹介しよう。被験者は14℃の水に1分間、手をつける。14℃はかなり冷たくて苦痛だが、我慢できる程度ではある。

A.1分たったら、すぐに手を出して暖かいタオルをもらう。

B.1分たったら、水槽にお湯が流れ込み、水の温度が15度になる。15度はそれでもまだ冷たいが、14℃よりはいくぶん苦痛が和らぐ。そのまま30秒ひたして手を出し、暖かいタオルをもらう。

もうお分かりだろう。被験者に、「もう一回、同じ実験に参加するとしたらAとBのどちらが良いか」を答えてもらった結果、8割がBを選んだのだ。客観的に見れば、Bのほうが30秒余計な苦痛を受けているというのに!


単に「苦痛を減らす」ことが目的ならば、たとえピーク時の苦痛が大きくて印象が悪くても、さっさと終わらせてしまうほうが良いだろう。しかし、「苦痛の記憶を減らす」ことが目的なら、たとえ時間がかかっても終了時の苦痛を穏やかなものにするほうが効果的なようだ。

これはまさに精神科医療で実感することである。入院生活を、保護室という苦痛の多い環境からスタートする患者は少なくない。彼らの症状が治まったからといって、すぐに退院させるとどうなるだろう。逆に、そこから一般病棟に移って、看護師やスタッフと関係を築いて、それなりに居心地が良くなってから退院するとどうなるだろう。上記の実験のように、苦痛レベルと時間だけで考えたら、さっさと退院するほうが苦痛総量は少ないはずだが、実際には、ゆっくり退院させた患者のほうが精神科に悪い印象を持つことは少なく、治療の継続率も高い印象がある(※)。

「終わり良ければすべて良し」
心理学を応用した騙しと誤魔化しの手口とも言えるが、長期にわたる治療が必要な患者とその家族にとってプラスになるのなら、そのために医療者は多少ズルくならなくてはいけない。

※もちろん、長く入院することでより強い治療関係が構築されるという要素もあるだろう。