2017年8月19日

依存症の深い闇の話 ~ある小児科医がモンストをやめるまで~

昨夜いっしょに飲んだ後輩小児科医が、モンスト依存症から立ち直った話をしてくれた。それがあまりに感動的だったので文章化して発表することを勧めた。
他の依存症からの脱却に通じる話だったのだ。

ここでは彼の話を簡単にまとめて記しておきたい。

大学近辺でモンストやっている人の中ではちょっとした有名人というか、尊敬を集めるほどの存在になっていた彼。知り合った人にハンドル名を教えると「あのXXさん!」と言われるほどだった。

どれくらいハマっていたのかというと……。

何回もフラれながらもようやく口説き落とした彼女とのデートでも、ふとモンストが気になって、トイレに行くふりをしてモンストしてしまう。授業中も、実習中も、何をしていても、ポケットのスマホが、というよりモンストが気になる。国試直前でも、勉強時間と同じくらいの時間をモンストに割いていた。

こんなことでは研修医になったときにミスを犯すと思い、モンストをやめる一大決心をした。

スマホを壊しても意味がない。単に登録を削除しても、また再開してやり込むかもしれない。もっと厳しい方法でないとダメだ。そこで彼は、手塩にかけて育ててきた250体のキャラを一つ一つ削除した。

泣きながら。

「大切に育てたペットを、自らの手で屠殺するような気持ちでした……」

今でも、ふとやりたくなることはあるらしい。

「仕組みが、ハマるようによくできてるんですよ。コミュニティサイトみたいなところがあって、やめようと思っても、そこに行ってみんなと交流するとまたやりたくなるんです」

断酒会の集団療法効果を真逆に利用した仕組みということか。

「スマホゲームはパチンコよりタチ悪いですよ。24時間利用できるし、いつでも課金できますから」

それに、パチンコはせめて外出するが、スマホゲームは外出さえ不要だ。

「俺はもともと凝り性、ハマるタイプなので、かなり気をつけています。ゴルフも手を出していません。やったら絶対ハマるのが分かってますから」

では、今は何に打ち込んでいるの?

「仕事です。患者さんが良くなると嬉しいし、子どもが心配で連れてくる親御さんたちを安心させたいから。2時帰宅もザラです。だから、妻には怒られます」

今度はworkaholicになってしまった彼。

依存の闇は深い。


でも、活き活きと一生懸命に働く彼の姿を見ると、我が子をみせるならこの人だな、と思う。

2017年8月18日

プライマリな呼吸器内科医の診断アプローチを学びつつ、良質な医療ノンフィクションとしても楽しめるオススメ本 『私は咳をこう診てきた』


スゴい本だ。

非専門、というより、内科に詳しくない精神科医が読んでもよく分かる。

難解になりがちな深い専門領域に踏み込まず、治療についても薬剤名を記すことなく、ひたすら「診」ることに絞り込み、ケースレポートという形式で、診察から診断までの思考の流れやアプローチが語られる。「咳」を「診」ることに特化しているので、ほぼすべての症例において同じ手順、同じ思考の流れが繰り返される。にもかかわらず読んでいて飽きないのは、それぞれの患者の生活・社会背景がしっかりと描写されているからだ。また、これによって、本書が良質の医療ノンフィクションにもなっている。

咳診療における具体的な治療については記載がない。専門書のように細かい鑑別診断が網羅されているわけでもない。これは決して辞書のように用いる本ではない。本書の価値は、非専門家が通読でき、勉強になり、啓発されるところにある。

精神科の外来患者には、「見知らぬ他者との関わりを強く拒絶する人たち」が少なくない。そういう人たちが「頭が痛い」「めまいがする」「咳が出る」「皮膚にできものが」というとき、内科や皮膚科の受診を勧めても「いや、いいです……」「めんどう……」と拒否されることが多い。精神科も内科も皮膚科も同じ建物の中にある総合病院でさえこうだ。精神科クリニックや精神科病院なら、なおさらこの傾向が強いだろう。そうして放置され、後日になって「あのとき、ちゃんとチェックしておけば良かった」という結果にはしたくない。

そういうわけで、精神科医「なのに」ではなく、むしろ精神科医「だから」こそ、定期的にこういう本を読むようにしている。

値段も手ごろで、非専門家には超絶オススメな本。

2017年8月17日

躁うつ病でもあった北杜夫が描く奇人・変人な精神科医たち 『どくとるマンボウ医局記』


「どくとるマンボウ」という言葉はずいぶん以前から見聞きしたことはあったが、それがどういう本なのかは知らなかった。まして作者が精神科医とは……、しかも躁うつ病を発症した精神科医とは想像だにしていなかった。

読んで知ったのだが、北杜夫の父は斎藤茂吉らしい。そして著者は、父である斎藤茂吉のことを「異常性格」と評していた。そういえば、夏目漱石も精神科的な問題を抱えていたらしいし、中島らもは躁うつ病とアルコール依存症があったし、海外の文豪にもてんかんや精神疾患のある人がいた。

こういう文豪や偉人たちの病気の話は国語や歴史では習わないけれど、追加情報としてもっと積極的に教えても良いのではなかろうか。そのとき子どもたちに伝えたいメッセージは、

「病気の有無にかかわらず、人は自ら成したことで評価される」

ということだ。歴史的人物の病気の話になると、ヘレン・ケラーや野口英世のように、
「こういう病気があったのに、それを乗り越えたスゴい人」
となりがちだし、その逆に、
「こういう病気があったからこそ、こんな素晴らしい仕事ができた」
ということにもなりかねない。

そうではなくて、彼らは「彼らが成したこと」で評価されている、ということを伝えたい。
「だったら、最初から病気の話なんて持ち出す必要はないだろう」
そんな意見もあるかもしれない。それも一理あるが、子どもたちには、
「あなた自身や家族で病気の人がいるかもしれないけれど、それでその人の価値が損なわれることも、逆に価値が高まることもなく、ただ行ないが評価されるのです。そして、あなたが誰かのことを判断するときも、持病の有無で評価を上下させないように」
ということを、偉人たちの病気の話を通じて学んで欲しい。

本書は、北杜夫が慶應大学病院の神経科(精神科)医局に在籍していた期間に出会った医師や患者にまつわるエッセイである。特に患者よりも精神科医のほうに奇人・変人が多くて、これは日常臨床(?)の感覚とも合致している。変人が多いと言われる医師の中でも、精神科というところは(以下自粛)。

2017年8月16日

子育て中の人は涙腺ゆるむ! 『水やりはいつも深夜だけど』


短編集で、最後の1編は女子高生が主人公だが、残り4編はいずれも子育てしている女性と男性が主人公である。その4編の内容をさわりだけ紹介。

『ちらめくポーチュラカ』
5歳の男の子を育てる30歳女性が主人公。夫の仕事は順調で裕福で、食事やオヤツやコーディネイトの写真を定期的にブログにアップし、一定の人気も得ている。充実した育児ライフを送っているように見える彼女だが、実は中学時代の女友だちからのイジメ体験を引きずっており、ママ友たちとの関係を上手く築けないでいる……。

『サボテンの咆哮』
主人公は、息子を幼稚園に通わせる「俺」。「共働きだから当然でしょ」という妻の言い分で、日曜日は子どもの世話から夕飯の仕度までを引き受ける。ただし、
確かにうちは共働きだ。妻はこのマンションから歩いて五分くらいのところにある実家の工務店の経理を手伝っている。共働きとはいっても、フルタイムで働いているわけじゃない。章博が幼稚園から帰ってくる時間には、仕事を終え、そのまま自宅に戻る。それほど忙しいわけでもないだろう。その言葉を何度のみこんだことだろう。
こころの中に、そんなシコリを抱えている。

『ゲンノショウコ』
主人公の女性には精神障害の妹がいて、我が子の成長を他の子と比べてしまい、ハラハラドキドキしている。そんな彼女のママ友のなかに、上の子が障害を抱えている人がいることを知り……。

『砂のないテラリウム』
子育てに追われる妻のこころが自分に向いていないことに、言い知れない寂しさを感じている男性が主人公。そんな彼に若い女性からのアプローチがあり、揺さぶられる彼の感情を描いている。

5編すべて「すごいハッピーエンド」ではないが、将来への希望が薄紙を通して透けて見えるような感じで、とても好感のもてる短編集だった。

子育て中の人は涙腺ゆるむよ。

2017年8月12日

大ざっぱな宗教観で、ゆるりと生きつつ、大切なことは守っていきたい

宗教を「熱心に」やる人には違和感をおぼえることが多い。

たとえば、キリスト教を「熱心に」信仰している人の中には、ミサやクリスマスその他の宗教行事にはやたらこだわったり、聖書の勉強会に真面目に通ったりするのに、そもそもの「人を愛し許す」という部分がスポンと抜けている人が目につく。やたら戒律にこだわって、こころが伴わない、みたいな。

きっとほかの多くの宗教で、原理主義や、それに近いようなことをやっている人はこういう感じだ。

不倫報道の渦中にある女性芸能人はモルモン教徒で、タバコは吸わない、コーヒーを飲まないという厳しい戒律があるようだが、家族を大切にし家族を裏切らない、という、ほとんどすべての宗教で重視されていることが抜けているようだ。

ある「熱心なキリスト教信者」は、夫とけんかして、頬を叩かれたので叩き返したらしい。そしていわく、
「聖書には、右の頬を叩かれたら、左の頬を叩きなさい、と書いてあるから」
彼女の間違いはともかくとして、「聖書に書かれているから叩き返す」というのは思考停止状態だし、そもそも「人を叩く」というのが教義からズレるような……。

宗教行事には大ざっぱで、日ごろの信心なんて大したことないのに、お盆に集まりわいわい騒いで、特に初盆なんかでは故人を偲んでたまに涙ぐんだりして、やっぱりご先祖さまは大切だよなーくらいの、ゆるい宗教観でやっている人たちが好きで、自分もそんな感じである。

面白い寓話を紹介しておこう。

高名な坊さんが弟子たちと旅していると、橋のない川のそばで立ち往生する女性に出会った。
「水かさが増していて、渡れないのです……」
坊さんは躊躇うことなくサッと女性を抱えて川を渡ったが、それを見ていた弟子たちは納得いかない。モヤモヤしながら旅を続け、何時間も経ってついに皆で指摘した。
「師よ、女人に触れるとは……」
すると坊さんはキョトンとした顔で、こう言った。
「なんじゃ、お前たちの頭は未だに女を抱えておったのか」

信仰心の篤い人と、宗教に熱心な人の違いは、こういうところかもしれない。


坊さんの寓話は、本書のあとがきに書いてあったように記憶している。